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右往左往するアラサ―女子の、気ままな備忘録・雑記です。

肉食ったらアナフィラキシーショック起こして死にそうになった話

■人生ワースト1ってくらい、衰弱なう

ある食事をきっかけに、アナフィラキシーショックを起こし、現在静養中です。
アナフィラキシーショックからおよそ一週間たった今も、衰弱しきっているので、ライフログとして記録しておきたい。
※今回はただのファクトと考察だけで、感慨だとかそういうものは皆無の記事です。※

アナフィラキシーを起こす3週間前に、その兆候はあった

とある食品を食べてから4-6時間後、両顎にアトピーみたいな湿疹がぽつぽつと4-5個ほど発生した。思えば、それが予兆だった。

水や汗ですら染みる紅疹で、幼少期に短期ではあるけれど小児アトピー経験もあったこともあり、
「うわー今年の猛暑で免疫下がってるんだろうな……アトピーの再来かな……」と落胆しつつ、こんなツイートもしていた。

数日経ってもなかなか水や汗の染みる感じがなくならないので、
「うーん、アトピーじゃない気がする……」
となんとなく皮膚科を受診した。

お医者さんには、
「遅発性アレルギーです、アトピーではありません。歯列矯正をしているみたいので、金属アレルギーの可能性もありますが、花粉症があるのなら、十中八九食物アレルギーだと思います。とにかく検査結果が出るまでは思い当たる食品は食べないでいてください。アレルギー抗体検査の結果はお盆前後に出します」
と言われた。
処方としては、抗ヒスタミン薬としてタリオンとキンダベートというステロイド軟こうをゲットした。

■そういや「微弱ですが、小麦アレルギーです」と診断を受けていたわ私

そのため、私は両顎が荒れたアレルゲンは「小麦かな……」と思っていた。なぜかと言うと、会社近くでボロネーゼパスタを食べた後に両顎が荒れたから。
「おいおい、小麦なんてなんにでも入ってるでねーか!」
と絶望し、ほぼ断食状態で10日を過ごした。その甲斐あってか、私の顎のアトピーっぽい湿疹は消えた。

■そして更に一週間ほどが経った頃、私は外食に行った。

それでも、「小麦はあかん……」とものすごく慎重に食べ物を選んだ上で、「おいしーい♡」と舌鼓を打って楽しんだ。

ところが、食後4-6時間が経った夜中、私の両顎のアトピーっぽい湿疹が前回の比でないくらい内部から外に掻き出るような痛痒さとともに復活!

それと同時に、喉や歯茎が腫れ、瞼の裏が真っ赤になり、体全体に悪寒が走り、微熱が出た。
なんか喉が死ぬほど痛いし声も出ない!血圧も下がってる感じがする!て言うか息が苦しい!ぶぇえええ?!
「これは絶対おかしい……アナフィラキシーか?」
と、本能的に違和感と恐怖を感じたので、夜中ではあったけれど、近しい医師に事のいきさつを話し、肌や喉を診てもらった。

彼の診断は、
アナフィラキシー。今度は死ぬかも、かなり重度。食事内容を聞いた感じ、小麦ではなく、おそらく○○(食物名)。」
と言って、エピレン(アナフィラキシーショックを起こしたら、太ももにぶっ刺す注射)もあわせて処方してくれた。

アナフィラキシーからおよそ一週間が経った本日の体調

いまだかなり最悪って感じ。

  • ヒスタミン薬の効き目が切れるとどうやら熱がぶり返す。
  • 首と脇のリンパが腫れまくっている。少し触るだけで痛い。
  • 瞼や喉など粘膜という粘膜が赤くなっている。
  • 倦怠感が半端ない。
  • 体力がものすごく落ちていて、2-3時間家の外に出るとその日はもう疲労困憊している状態。

■夏バテ&疲労&心労の三連コンボが最悪だった仮説

週次で通っている鍼灸でも7月頃から、「ユキさん、首のリンパが腫れているけれど、体調はなんでもないのですか?ひどい風邪など注意してね。普通ではない腫れですよ。」と言われるなど免疫がおかしい兆候もあった。

この半年間、諸事情により、「激務バッチコイ!」とかってtweetしながら、三十路のおばさん初級にはなかなかしんどい労働が重なっていた。

そして、極めつけはこのブログの前ポストはこんなヘビーな話なわけで、ここ2.5年はプライベートで端的に慢性的に心労が蓄積していたに決まってるわけで。(これを私は「死別疲れ」と呼んでいる。)
yuki-kuriyama.hatenablog.com
yuki-kuriyama.hatenablog.com

■心身健やかに過ごすことの難しさ

ショック症状が和らいだら、アレルギーとうまく付き合うために色々と模索をしたい。
仕事もしばらくセーブさせてもらえることになったので、ホントよかった。
普通に考えたらあと50-60年生きるので、食べてはいけない食べ物ができたことは悲しいけど、受けいれて天寿を全うできるようにマジで気をつけようと思う…。

■みんな発症しうるから、気をつけて。

アナフィラキシー起こした食材は今まではアレルギーを起こすと診断はされていなかった。
それでも心身疲労などが重なって見事突然開花しやがったので、アナフィラキシーって他人事ではない気がします。

激務社畜の皆さん、育児疲れのお母さん、その他もろもろ健康を揺らがせながら人生頑張ってる人、マジで気をつけてね…!

同棲していた彼氏が自殺して2.5年経ってからようやく墓参りに行った話

■何を思ったか、墓参り。

都合よく私を扱ってくれている男性が用事があってとある地方都市に行くと言い、「来る?」と言うので、ノコノコ付いていった。
死なれて2.5年、過去何度かトライしたけれどこの街には1人では来られなかった。
他の男に便乗して好きだった男の墓参りなんて不謹慎だって?自分で死んでいなくなるよりは200倍くらいマシだろう。
そして、それくらい不埒な動機というか流される何かがないと、脚を踏み入るエネルギーは湧かなかった。
今現在の私にとって、「私を都合よく扱ってくれる」と言うのは、「私にとって都合がいい」と同義だから。
ただ、そんな不埒な動機にしても、その町に赴いたとき、足がすくんだ。おお、今回はちゃんと駅の外に出たぞ……!

■男の子のための花束

故人はクリスチャンなので、教会の共同墓地に眠っている。
教会の牧師さんご夫婦に事前にメールを差し上げ、教会に赴いた。
「やあ、久しぶり、いらっしゃい」とたったそれだけ、たったそれだけの言葉だけれど、私というたった一瞬すれ違うように出会った女の存在を慈しんでくれる目を向けてくださったので、もうその瞬間に涙腺が反応してしまった。

「一緒にお花を買いに行きましょう、すぐ近くにあるから」と私を連れて、お花を選び、
「男の子だから、青とか紫を入れたいな」とつぶやく私の言葉をくみ取ってお花を買ってくださった。
今思えば、共同墓地、先生にとっては私にとっての故人だけでなく眠っている皆さんへの花だというのに、私の勝手を受け止めてくださったことがありがたかった。

■お墓ってのは、生きる人間のためのもの

先生と一緒に墓地に行き、お祈りをして、お墓の掃除をした。
お墓で少しの時間を過ごして、
「あっ、やっぱり、ここには故人はいねーや」
と思った。
彼の気配は、全く気配を感じなかった。
2.5年前の納骨の時もすでにいなかったけど、今回もやっぱりいなかった。
(この辺ひどくオカルトで申し訳ございません……でもね、火葬までは私のそばにいたの、「ごめんね、でも探してくれてありがとう」ってずっと聞こえてたから。)
「これからは自分が『行くか』と思った時だけ気ままにお墓に来ればいいや。お墓ってのは、生き延びねばならん人間のためのものだ。死者のためのものではないのだな……」
と感じた。
そして、
「墓参りにチャレンジしたことに意味があるのだ、2.5年来られなかった場所に来られた。それは私が生きるうえで意味があるのだ……」
とぬるい涙を流しながら自分に言い聞かせた。

■悲しみの横にはまたよく似た悲しみがたたずむもの

2.5年の時間の間に、先生にとって我が子と並ぶくらい大事な存在だった方も若くして自死したという。
「ひどく悲しみました。Hくん(故人)の死の悲しみが落ち着いたところで、のことでしたから。」
と先生は言う。

私は、先生があまりにも心や体を病んだ人の身の上話を聞き、時には問題解決のためにご自身で行動なさっていることを知っていたので、
「なぜ悲しみが人生に重なって起こりながらも、先生はそうやって前を向いて誰かのためにと生きていけるのですか」
と聞いてみた。
「私は、愛されていると感じているからです。神は私に受け入れるための試練を与えてくださる。この悲しみがいつかきっと誰かのために代えられると思って、私は未来を見ます。」
と、先生は静かににっこりした。

■ソロー(悲しみ)は漂う、だけど。

先生は私がノン・クリスチャンでキリスト教に関心があることを分かった上で、分かりやすく話してくださった。
「悲しみは同じ状態のままで未来永劫あるわけではありません。今日という一日は単なるプロセス・過程に過ぎないのです。悲しみが霧消することはないかもしれませんが、必ずプロセスを進めば、今とは違う形にあります。それはユキさんもこの年月で感じられたでしょう?」
「一つのプロセスに過ぎないのであれば、『どうやって』解決するか・ベターなものに持っていくか。それを考えるのです。その『どうやって』を考え、行動するための勇気やお守りになるのが信仰です。神がユキさんを助けてくれるのではなくて、ユキさんがご自身で力強く、そして健やかに生きていくためのバディとして、天にいてくれているのです」

私はちょうど先日、再読したJohn IrvingのThe Hotel New Hampshireを思い出した。
悲しみは漂うのだ。だけど、開いちまった窓のところでずっと突っ立ってその風景を傍観しているわけにはいかないのだ、次の場所に行かないといけないのだ、生きている限り。
悲しみは無くならない。でも、私のいる場所は変わっていかなきゃならない。生きている限り。

■たぶん、私にとっての未来永劫

「なぜ」「どうして」、何年も悩み苦しみもがいていた彼を知っているというのに、この堂々巡りは2.5年経っても終わらない。私の意識がオンである限り、寝ても覚めても何をしていても。
私は、”人間様がどうにかできる領分を超えた何か”、を感じざるを得ないというのが、今の心境。
それを人間は、”運命”と言い、”神”と言い、すんげー昔、2000年くらい前とかもっと昔から、畏れながら信じていたのだ、祈っていたのだ、っていう、信仰を持つ人たちの”信仰の芽生え”に対する納得感も持った。ただ、今の私が信仰を持つのかというとはてなである。
もう少し自分の力で人生を泳ぎ切って、少し人生を見渡せるようになったときに、信仰を持つかもしれないなと思う。
今はまだ、私は私一人であがくだろう、悲しむだろう、その結果、一生独身でも子供を持てなくても、シングルマザーになっても、もう細かいことは気にしない。それが私の人生なんだろう。
ちょっとだけ、自分この悲しみと渇望のカオスにうんざりする。

できれば好きな男(故人)と結婚して、子供を作ってやがてセックスレスだわとか言いながら子育てとかしてみたかった。愛の収束を見て見たかった。
その代わりにきっと、全て揃った人生を歩める誰かとは違う何かに行きついて死ねるだろう。というか、行きつかないと悔しいって言うかなんていうか。
彼が死んで、2.5年。他の男とセックスはできても、あの子に感じていたような愛は他の誰にも感じたことはない。
悲しみは漂う中で少しずつ変化していくというのに。
たぶん、私にとっての未来永劫。それが奇跡とか運命とか思い込みとか、なんでもいいけど、そういうことだ。

10年経っても同じこと言ってるかもしれない

■どうにか生きている7月、どうにか生きていかないといけない7月

数カ月にわたるまじしんどい案件が終わったので、バケーションをとっている7月の終わり。
坐骨神経痛の三十路の体を引きずり飛行機に乗り、文字通りの避暑をし、John Irvingの名著『THE HOTEL NEW HAMPSHIRE』を再読しながら、宇多田ヒカルさんの『夕凪』を聴いて、過ごしている。
小さくなって箱に入った彼を抱きしめて歩いた時、「大きな波が来て、色んなものなぎ倒していったな」って思ったのを思い出した。あの気持ちは未だに名前がつかないけど、宇多田さんが歌ってくれていた。

こんなに穏やかな時間を
あなたと過ごすのは
何年振りでしょうか

落とさぬように抱いた
小さくなったあなたの体


高校や大学の頃に何度も読み返し、あっちもこっちも付箋だらけになった『THE HOTEL NEW HAMPSHIRE』は、図らずも自分の人生の予言の書だったのかなと思っちゃうくらい、「喪失の連続、それが人生」とIrvingに諭された気がした。
仕事の振り返りは書き残さないけど、瞬間風速的に今この瞬間の絶望的な私の絶望は書き残しておきたい。

■史上最強に人生が停滞している2.5年

友達の多くは私が死別した当時皆独身だったけれど、見事に全員結婚したり出産を経た。
職場で、「ユキさんと働くと子供ができる」と妙な言われ方をするくらい、私の周りは家族や連れ合いが増えた。(これは単なる偶然だろうけどw)
そういう感じで、2年半という月日は、普通に人生を歩んでいれば、様変わりするくらいの時間の長さなのだ。
正直、ご祝儀・お祝い金を渡すのも、「おめでとう」と言って盛大に祝うのも、どう頑張っても全力で祝福できる精神的キャパにないので、非常にしんどい。
めでたい人生は勝手に歩んでくれよ、教えてないでくれよ、というのが本音。
だって、私の人生は、あの日止まったままだ。彼のほかに誰一人のことも愛せないまま。
恋愛は愉しくできる、でも自分の心がわかる、これっぽっちも愛されてないし、愛してもいない。あなたにとっても私にとっても。

■『ソローは漂う/Sorrow floats. 』

私の親やきわめて近しい友達の数人は、嘆き悲しむ私や無理して頑張る私を見ることに疲弊しきっている。
2.5年間も見たこともないどこぞの男の死を抱えて人生の歩みを拒否する私の姿を見せつけることは、申し訳ないなと思う。
だから、元気そうに振舞うことはできる。そのPretendは私にとって彼らへの愛の証明。感謝の証明。
でも、その証明は、悲しみが余計に私の周りに漂うばかりだ。
どうして、誰かのことをCareするほどに私自身が閉ざされていくのか、わからない。

■『どんなものも愛より安全よ/Everything's safer than love.』

故人は生前、死ぬほど悩んだだろう。死ぬほど悩んで死んだのだろう。私をはじめ彼の心の世界に数名いた他者を愛したから悩んだだろう。その愛に心が破壊されただろう。
そう思うと、「彼の苦しみはここで終わったんだ」とその点だけは、彼の死は、私にとっても救済になった。あの子が苦しくない場所に行けたのだから。

でも、私は、彼が生きている間、
「苦しむ彼を見て苦しく切なく無力感にさいなまれる私の人生から逃れるには、おそらくパートナーシップを解消したからって済む話ではない。心の中をデリートできないから。どちらかが死んだらこの毎日の闘いは終わるの?」
って私は確かに思っていた。世界の誰にも言わずに。
でも、彼にはきっと伝わっていた。

彼が死ぬのには、きっとそれで十分だったんだなと思う。

私という存在は、きっと確かに彼を救っただろう。だけどきっと引き金にもなっただろう。
私は確かに彼を愛していたし、彼もまた私を愛していたというのに。
この両立してほしくない事実を、私は自分の寿命が尽きるまで、寝ても覚めても思い続けるだろう。
どうやって自分のこの罪の意識と向き合ったり共存していけばいいのかしら。

■『開いた窓に立ち止まらないで、それが生き続けること/Keep passing the open windows, that means keep on living』

漂っている悲しみの行先が、今はまだわからない。
ただ、閉じることができない開いた窓のそばにずっと立っているわけにもいかないことはわかっている。
早く、悲しみに行先を見つけてあげないといけない。私は、この窓からの風景にさよならをして、新しい窓を開けに行かなくちゃって死ぬほどわかっている。
でも、動けない。
どこにいったらいいだろう?どこにいったら赦されるだろう?
寄る辺ない終わりのないこの苦しみと悲しみにとらわれたらあかんと思うほど、私は自分の今日すら見えなくなる。

好きな男が自分より早く死んでしまうこと。それは普遍的なテーマで、日常にも創作の世界にもよくある話。
でも、この悲しみは自分の物だけ過ぎて、その事実は私をこうやって閉ざした気持ちにさせる。
今日をどうやって生きていこう。立ち止まらないってどうやったらできるんだろう。
あなたに会えさえすれば、また私は生きていたいと思うかもしれない。でも。

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初恋

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