読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

UOUSAOU

右往左往するアラサ―女子の、気ままな備忘録・雑記です。

記憶が追憶に変化して、私は今日も生きていて -同棲していた彼氏が自死するということ

あれほど悩んだのに淡々と過ぎた、故人の誕生日

最近、故人の誕生日がありました。
故人って、最愛の彼氏だった男性です。
http://yuki-kuriyama.hatenablog.com/entry/2016/04/07/142443

朝起きた時、心の中で、
「お誕生日おめでとう」と呟き、一日をいつもの通り過ごしました。
苦手なお客さんと会議をして、資料を作って上司と話し合って。

会議が一通り終わってひと段落、ふう…と思ったらもう夕方でした。

夕陽が見事な日だったので、オフィスの廊下から眺めました。
隣に彼の気配を感じることも出来ず(えせスピリチュアルみたいですが…)、一人ぽっちの自分の身体を嫌というほど感じながら、
「こんな綺麗な空を観ないで死ぬのはやっぱり馬鹿だ」
と心の中で故人のズルを批判しながら、坐骨神経痛の酷い、左脚の裏の太ももを擦っていました。

夕陽を観た後は、後輩の人がやってくれた資料をレビューして、22時過ぎくらいに家に帰って簡単なおかずを2-3品作りそれを少し食べ、お風呂に入りました。淡々と。

心の中で、
「君の〇歳の姿を見たかったよ。私が死ぬ時、私はおばあさんで君は若いお兄ちゃんのまんまでずるいね」
と話しかけてすぐに布団に一人、潜り込みました。

故人の誕生日の日には、ひとしずくも涙が出なかったのでした。

それに気づいたのは、数日経った週末の今日のことです。

今日の私と、故人のソックリさん

今日の午後、またしても夕方の時間帯。

私は、中目黒のあるコーヒーのお店に入りました。

そのお店は、入り組んだ住宅地にあって、メインロードに一応案内の看板が出ているものの、看板自体が超アバウトに分かりづらく出ています。
少し冒険してるみたいな感じで探さないとたどり着けない、粋な喫茶店で、私自身は何度か利用したことがあるお店です。

喫茶店ってのはざっくり二種類あります。
誰かとおしゃべりを楽しむためのお店と、一人で思索や読書、お仕事なんかの時間を過ごす静かなお店。
分かりづらい案内をしてるだけあって、そのお店は後者のお店です。

少し、自分の心の中を覗きたい気分だったから、ピッタリの静謐なお店だったので、トコトコと入っていったというわけです。

お店のお兄さんが静かに、
「こんばんは」とだけ言って、席に案内してくれました。

案内して頂いた席から斜め前の方の席に、故人とソックリの男性がいました。

私は、思わず、故人の名前を呟きました。

お肌がピチッとツヤツヤとしてて、無駄なお肉が身体にも顔にも付いていなくって、黒いタートルネックのニットに、銀色のMacbook Airを使っていました。
まぁるい銀縁メガネをして。
Macbookがあるのに、手元のノートに何やら書き付けていました。
使っているインクは、濃い紺色のボールペンでした。
コーヒーだけを頼んで、背筋をピンと伸ばして座っていました。

私は、しばらくして我に帰りました。
「あれ?どこまでがソックリなお兄さんの情報?どこまでがあの子を思い出した私の記憶?」

ひどく、混乱しました。
まだ、亡くなって1年も経っていないのに。
10年も友人もしくは恋人としてかなり近しい間柄だったのに。
私は、彼を思い出せなくなっていました。
ソックリさんのような、何かしら故人の記憶を引き出す外部刺激がなければ、彼の姿・声・私に触れてたはずの肌とか体温とか、息遣いとか、思い出せなくなっていました。

簡単に言うと…彼についての「記憶」は、いつしか「追憶」になってきています。
私は、彼を忘れないようにと、毎日思い出しているにも関わらず、です。
声・瞳・お顔の毛穴がどう見えたか・近くで観る眉毛とかまつげ…私の「記憶」
は正しいのか?自信がないのです。

私は、その忘却、について、
言い換えれば、「記憶」というソリッドでシュアだったはずのものが、「追憶」というとても曖昧で、不意にしか頭と心から引き出せなくなったことについて、悲しむべきか喜ぶべきかがわかりません。

ただただ、彼は今日のこの世にいなくて、私はだんだんと彼を「故人」と認識しつつあること、それだけが分かります。

宇多田ヒカルさんの『忘却 feat. KOHH』

今夜の私は、宇多田ヒカルさんの『忘却 feat.KOHH』をエンドレスリピートしています。

死生観や記憶を扱うこの曲は、アルバムの中でも静かにでも物凄く質量のある曲で、今まできちんと向き合えませんでした。

やっと、この曲の、意図的に掘り下げてもハッキリ全てを思い出せる訳では無いけれど、確かに自分の心の中にある故人への追憶や祈り、生き残った自分の生についての覚悟とかとか、そんなものを感じることができたかなぁ。

『いつか死ぬ時、手ぶらがbest』
だって普段は覚えてるはずなのに思い出さないだけで、ほんとはこんなに「追憶」で心はいっぱいなんだから。

クリスマスカードは、なんとなく贈り物感がして好き。

さて、12/21というわけで、クリスマスも間近。

年賀状は、はがきと決まりきっているのに対して、クリスマスカードのバリエーションの豊富なことったら!
というわけで、年賀状も通常は送りますが、クリスマスカードの方が好きです。

今年は、法律的には家族ではないが、喪中の気持ちなので、年賀状を来年は失礼しようと思っています。
でも、悲しいことがあったからこそ、自分のことをケアしてくれた人たちにはお礼を言いたいし、何かしら感謝の意を示したい・・・

というわけで、絵本形式になってたり、メロディが鳴ったり、ちょっとした組立て形式だったり、かわいいクリスマスカードを用意して、
仕事の合間にせっせと書いてはお送りしています。
プレゼントはつけてないのに、サンタさんになった気分です。

自己満足だって?わかってるわかってる。
でも、クリスマスカードは、「私はこの人のことが大好きなんだな~!」と再認識できて、幸せになるし、もらった人も一瞬くらいはそれが伝わると信じています。笑

何かを贈るって、相手への感謝を示すだけでなくて、自分の中にあるその人への気持ちを確認する機会でもあると思うのです。
日常生活がせわしなくて、プレゼントする機会も流れて行っちゃうと、つい気持ちの確認ができないまま生きていっちゃう。
というわけで、長年のパートナーにだって、たまには恥ずかしがらずに、大げさに言ってみた方がいいんじゃない?って思ったりして。
「大好き!」って言える相手のことって、どんどん好きになっていけるのと同じな気がしています。

私から受け取った方は私の自己満足をおゆるしくださいな。

皆様、素敵なクリスマスを!
クリスマスカード送るのは、まだ間に合うぞ~♪

「最後のクリスマス」って知っていたら。-同棲していた彼氏が自死するということ。

yuki-kuriyama.hatenablog.com

凡そ3か月の間、社会的な一切を受け付けませんでした。
会社も休んだし、たった一人の人を除いて、人に会うこともしなかったし。

私ももちろん死のうと思ったのですが、後追い自殺は見事失敗したし、死にぞこなったことで、
「健康な若者だと思ってた以上に簡単に死ねないものだな。
それなのにやり遂げたってことは余程あの子は死にたかったんだ。それなら彼の選択を尊重しなきゃ。」
と案外すとんと理解できちゃいました。

そして、彼の本当に苛烈な、トップオブハードモードな人生を、私はよく知っていたので、
「お疲れ様。次は私のお腹から出てきて。次回の人生は笑い転げて生きてけますように」
って祈りました。

次に彼と出会うときは、親友や恋人でなくていい、ただ彼のお母さんになって、たらふく美味しいご飯作って祈りを込めて子育てをして、幸せにしてあげたいと思いました。
反抗期には、「おめー誰がおめーの飯作ってると思ってんじゃ!」と取っ組み合いのけんかをしたいくらい。
縁があったら、そのうち私のおなかから出て来るんじゃないかって、今でも信じています。彼が死んだ日から、今日までずっと。
頭がおかしい?そうかもしれませんね。

彼の死は、私に勇気をくれた

「彼の命と自分の命どっちか選んで」
と神様に言われたら、私は自分の命を投げだすと思っていました。
それくらい好きだったというか他人の感じがしない、大事な存在でした。思い込みかもしれないけど、どうでもいいじゃない。
その人が、自分で「もうこれで人生おしまい」と選択し、自分自身の手で、死んでしまいました。

私には、世の中にもう怖いことは一つしか無くなりました
これ以上悲しいことは、自分の子供が私より先に死ぬことだけ。(まだいないけど。)
ある意味、彼は私を(ほぼ)無敵にしてくれたってことです。
つまり、彼の死は、私のこれからの人生、になったのでしょう。

これからの余生に、私がやること

「彼のようにズルをしないで神様が私を呼んでくれる日を待つこと」
私の人生では、それしかやることはないみたいです。
とはいえ、結婚、出産、子育て、転職…まだしたことがないことがいっぱい。
全てはnice to have(しなくたっていいことだけど、しといた方がベター)だし、私の性格的にしてみるならしてみるできっとがんばっちゃうだろうな。
なので、人生の流れには今後抗わず、どんぶらこどんぶらこっこと生きて、神様に呼ばれるのを待つべし。
それだけ。
私の人生のスタンスはそれだけ。

あ、あともう1つあった。
「もう、大事な人を死なせないこと」
神様に呼ばれたら仕方がない。だけど、防げる病気や事故などのリスクを防いであげること。
大事な人は世界に何人かいて、一部の関係性は常識を逸脱しているけれど、そんなことは大した問題じゃなくて、私がしたいのはその人たちが笑って生きてくれるようにすること。

この2つスタンスがあれば、他はもう何もこだわらない。ただ生きていけばいい。

彼が死んだという事実への悲しみは、たぶん一生癒えない

時間が経つほどに実感します。こりゃ私がばーちゃんになって死ぬその時まで、続く悲しみだわ、と。

仕事をしている時、道を歩く時、お風呂に入った時、誰かと過ごす時、いつも彼の面影は突然によぎります。
その時の太陽の光の加減、湿度、彼の声や表情、全部全部巻き戻しの動画みたいに。
その度、私は「現在」を一瞬失い、「その時」にタイムスリップして。
涙が出た時、心がきゅっとした時は、「現在」に戻ってきた合図。

この辛さから、涙から、解放されたいと毎日神様にお願いしています。

だって、彼がいないこの世なんて私はなんの期待も未練もないんです。
今すぐ神様に連れていかれたって、
「あらまー美人薄命?笑」
って自分でボケで笑って死ぬだろうな。
それなのに、私はまだ死ねないらしい。超元気です。
なので、もうこうなったら割り切って、この世で業を積み尽くして苦しみ尽くして笑い転げて泣いて泣いて泣いて死のうと思っています。

「これが最後のクリスマス」って知っていたら

最後のクリスマスだって、あの時わかっていたら、残業なんてしないで、ごちそうを作ってあげたらよかったな。
クリスマスの思い出を思い出すと、きっとこれからも私は後悔するのでしょう。
だけど、
いつかのクリスマスにとってもほろほろ美味しいチキンを焼いてくれたこと。
かわいい小さいケーキを買ってくれたこと。
私のベッドカバーは今日も、彼が買ってくれたスカイブルーのカバーなのです。

沢山のたらればや後悔は止まらない、けど、そんな楽しい思い出も、きっと全部忘れないでいたいと思っています。
沢山の楽しい思い出と、優しい気持ちをありがとうって、伝わればいいな。
サンタさん、ちょっと頑張って天国までお届け物をお願いします。

一緒に過ごす誰かがいる人、それが恋人❤とか甘いモノじゃなくても、あなたの人生に大事な家族とか友人とかとか。
いつもありがとうの気持ちをプレゼントしてあげてくださいね。

一人でも多く、思い出深い素敵なクリスマスを。