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右往左往するアラサ―女子の、気ままな備忘録・雑記です。

誰かが落ち込み・悲しんでいる時に、かけてあげられる言葉は一つしかない。

ああ、4カ月たったなあって思いながら、なかなか梅雨の開けない東京で、今までどおりゴリゴリ働いています。
死んでしまった彼への気持ちだけ春の初めごろに置き去りのまま、私の心と体は未来に進んでいます。

さて、私の身に起こった、死別、という出来事。
ごく数人にしか言っていなかったにも関わらず、リアルライフでは噂になるようで、じわじわといろんな方から励ましを受けています。

それで気づいたことがあるので、書かせてください。

サンドバックにしないで?

表は励ましの形をとって、「誰かの経験に関連付けて自分の苦労・辛さを語る人」が結構いるなって感じることがありました。
その人に、悪気がないことは知っています。
でも、1対1の関係で、ヘビーなものを背負う人に自分のsomething heavyを当ててはいけないと思いました。
それは相手をサンドバックにしている行為。

今の私は、温かい優しさや愛を分け与える余裕などない、ただ、日常生活へのリハビリを一生懸命やっている人です。
だから、そういう人への、救済の言葉を私は心からは言えないのです。
口先からだけ、ぺらぺらと救済の言葉を言い、私は笑顔を浮かべています。
相手がただ、こういう返答をしてくれるのを、じっと心の底で待ちながら。
「ユキさんの経験からしたら、私の経験なんて大したことないけど」

大抵、そう自分にフィードバックをできるまで人に話すことができると、悲しみやさみしさを仕舞い込むことができるようですね。
それなら、カウンセリングを受けたり、ぬいぐるみに話せばいいのに。
人は、自分よりも状況が悪い人を探して、「自分の方がまし」と思いたいのかなあ。私もそういう面はあるかもしれないけれど。

でも、悲しみや寂しさの大小は、人とは比べられっこないのです。
サンドバックにするだけ、冷静になったらきっと「やってもーた」と思うことでしょう。

結局、大人になっても、お母さんが昔くれた、「痛かったね/辛かったね」という魔法

では、横にいる誰かが落ち込み・悲しんでいる時に、かけてあげられる言葉ってなにがあるんでしょうね。

今回、
「つらかったね。」
私は、この言葉が一番素直に沁みました。

概して、世のお母さんはわが子が「怪我がをした」と泣くと、
「痛かったね」
と同調してくれます。(んなもん、なめとけば治る!という教育方法もありますが。)
思い出すと、その同調こそが、「この痛みを自分で耐えよう」と思わせてくれませんでしたか?
今回の死別を乗り越えようとするうえでも、この言葉をもらった時に、同じことだなと感じました。

弱っている誰かと一緒にいる、あなたへ。

いつだったか私は、ある人に「助けてくれてありがとう」と言いました。
すると、その人は、
「人は人を助けることなんかできない。ただ、一緒にいるだけだ」
と、私の目を覗きこんで言いました。
それは、目が醒めるような一言で、心の中にすとーんと入ってきました。
それまで寝食も取れず弱っていく一方でしたが、そのとき「今までゆっくりと後を死んでしまった彼の追っていた。私は、何とかして、生きていなければ」と思いました。

だから、「この人に、何もしてあげられない・・」なんて思わないでください。
バイバーは、一緒にいてくれるあなたのおかげで、サバイブする力を自分の中に貯めている途中です。

いつかきっと、私が目が醒めたみたいに、あなたの気持ちや言葉で、サバイブする覚悟を決められるはず。

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