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右往左往するアラサ―女子の、気ままな備忘録・雑記です。

おばあちゃんはもう、私のことを忘れちゃうのかもしれない、けど

お別れってのは、いつのことを言うんだろう

意志を持って会わなくなること?
片方の気持ちが完全に離れて、一方通行になること?
自分か相手が死んでしまうこと?

この1年、考えてきました。
考えてきたのだけれど、答えは出なくて、必ずしも「死」がその垣根だとは言えないし、とてももやもやと思考を重ねて生きています。

へたれな子供らしくない子供の生きづらさ

私はとにかく物心ついた瞬間から大人の顔色を見てビクビクしている子供でした。
「ユキ、赤い服と青い服、どっちがいい?」
そう聞かれても、大人の顔色を見て、喜びそうな方を選び、自分の希望を伝えない。
それはなぜかと言うと、ひたすらに大人に「ユキちゃんいい子」と言われたかったから。
なぜそうなったのかは、正直なところ、記憶が無いです。
でも、とっても幼い時から、愛されたくて、心の中がヒリヒリしていて、母や父や幼稚園の先生などの周りの大人の目をよく見て生きていた、気がします。

私の救いだった祖母とその美しさ

母方の祖母は、ギリ40代で初孫の私が生まれたので、幼い私にとってはまだまだ老人には見えなかったし、何より、
「あれ、ユキちゃんのおばあさん?女優さんのようだね」と幼稚園の先生に驚かれるような、目鼻がハッキリしていてエキゾチックな雰囲気の祖母で、幼い私が気圧されるくらいに美しかったことをすごく覚えてます。

そんな美しい女性が、私のビクビクを見抜いてくれました。
「ユキちゃん、大人の顔色を見るんじゃなくて、好きな色を選んでいいんだよ」
「無理してたくさん食べなくていいからね」
一言、いつもたった一言でしたが、私が自分に勝手にかける鎖を解こうとしてくれる祖母でした。
だから、祖母とは同居していないためあまり頻繁に会わないにせよ、私にとっては、自分自身に立ち返らせてくれる祖母は、救いでした。

祖母が、いよいよ本気のアルツハイマーになったという事実

時がめぐりめぐって、私の祖母はもう80歳になります。
祖父は20数年前に鬼籍に入っており、3-4年前からアルツハイマーの診断を受けながらも、気丈な祖母は片田舎の古い嫁いだ家で、ずっと一人暮らしをしています。
「嫁に来たんだから、私の家はここ」
そう言って、私の母が自分の住む都会に出てくるようにと声をかけても断り、一人暮らしを続けるしまつ。

でも、アルツハイマーは進行していきます。
毎日まめに作っていた食事を、祖母が作らなくなったのは1-2年前のことでした。

それからあっという間に、祖母の表情は無表情になりました。
「ユキちゃん!」といって、ぴょこーんと抱きしめてくれる祖母はもういなくなってしまいました。

今年の正月の祖母のアルツハイマーの状況

お正月にあった祖母は、かろうじて日常生活を過ごしているフリをして、一生懸命自分のアルツハイマーを隠そうとしていました。

まだらに、目の前の孫の私が分からなくなっている時がありました。
「ああ、ユカちゃん(私の母の名前)」と私を呼ぶのです。
「ユカちゃん、さっきお父さん(20数年前に亡くなった私の祖父)がね…」ととうに鬼籍に入った人がさも生きているかのように会話が続きます。
でもなんだかよくわからないけど、ふと正気に戻って、
「ごめんごめん、ユキちゃん」と私を正しく認識するときもまぜこぜにありました。

今度おばあちゃんに会うとき

私は、帰りの車の中で、泣きました。
今度おばあちゃんに会うのは、きっと会えてお盆です。
今年は私のキャリア的に大勝負の年だし、いつもGWなんてありません。お盆休みだって去年はとれなかったし。
今は1月(当時)、お盆は8月。
8カ月の間に、おばあちゃんはもう、私のことなんかわからなくなっちゃうかもしれない。
子供の頃の、子供らしくない私を救ってくれた大好きなおばあちゃん。
しばらくは死なないだろうけど、おばあちゃんの中で、私という存在がなくなっちゃう日が近いと感じました。
それは、私にとってものすごく悲しいことに思えました。
もしかしたら、未来に訪れる、おばあちゃんのお葬式よりも悲しいかもって。
今も、なんでそんなに悲しいのか、わかりません。

だけど、次に会った時に、私のことを忘れちゃっていても、孫だと言ってもわからなかったとしても、
私は、
「ユキだよ。一番初めの孫でしょ!」
と挨拶をして、その後に私のことをやっぱりわからなかったとしても、おばあちゃんに対して優しい気持ちで見つめられたらいいなと思いました。

そして、次に会った時は、
「子供のとき、私の本当の心をいつもわかってくれて、助けてくれてありがとう」
と伝えようと決めました。

そのお礼が、まだ間に合いますように。