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右往左往するアラサ―女子の、気ままな備忘録・雑記です。

「愛する人の死」というコンテンツを人は覗きたい、それはアダルトコンテンツと似ているから

今更ながら、『タイタニック』を観た。

「おばあちゃんになったローズ、今にも死にそうなのになんでそんな鮮明に覚えてるのか」
「いやいや、ジャックも助かる道も絶対あったのでは」
「二人で死んだ方がええやんけ」
とシニカルに思い巡らして映画館で観た以来、家でひとり鑑賞。

今の自分の立場になってから見てみるとまた感じ方が違ったのが、面白かった。

タイタニックは王道of王道だからヒットしたんだなと今更

「クラスの人気者みたいな映画だな」と思った。
当時は画期的な美しいCGテクニック、王子様みたいなレオナルド・ディカプリオ様、お姫様みたいなケイト・ウィンスレット。そしてテーマはセンセーショナルなタイタニック号の沈没とラブロマンスを絡めるなんて。

そのラブロマンスに、「愛する人の死」をあんなにドラマティックに入れてしまうんだから、コッテリ映画にも甚だしい。ラーメン二郎のマシマシ状態。
なのに、映画の中の静かなシーンと盛り上がるシーンの絶妙なバランスで、美味しく頂けてしまう。

例えば、ジャックとローズが結ばれるシーン、あれよりも濃厚に描いてたらもうダメである。また、ローズの婚約者が嫌な奴だっていうエピソードも、あれよりも多く散りばめられていると興ざめですよ。

愛する人の死」、それはよくあるコンテンツ

シェークスピア三島由紀夫も、書いてない芸術家はいないのではと思うほど、よくあるコンテンツ。

本当は「愛する人の死」と言っても、

  • 恋の最中に恋人に死なれる
  • 家族になってから寿命で死に別れる
  • 家族や友人に災害や事故で死なれる

のは、きっと全て勝手が違う。

だけれど、どれも我が身に降ってきたなら一瞬で不幸真っ只中に落ちていくことを皆知っている。
だから、怖いもの見たさで、「愛する人の死」を覗きたい。

だから、『タイタニック』を観る。『世界の中心で愛を叫ぶ』を、『1リットルの涙』を、『余命1ヶ月の花嫁』を観る。『春の雪』を、『こころ』を、読む。

大抵の「愛する人の死」のコンテンツは、大事なことを描いてない。

それは、死なれたあとの、サバイバーの日常のことだ。

実際のところ、日常の中で故人を悼み、涙を流すなんて、生きた人間には、そんな余裕はない。
生きていれば…かりそめだとしても、目の前の人を愛し、女性で子をなしたとすれば必死こいて育てて、更年期が来たら更年期を耐えて、孫ができたらかわいがって、そうしてたら一生は終わる。
そんな日常の中に、故人を思う暇なんてない。

私は未だに、残業の夜のトイレ、気持ちのいい午前の光のその中であの子を見つけては泣いている。
でも大抵、数分でバーっと泣いて、ぱっと切り替わる。
「もういない、今日やることやらないと私の今日も、人生も、終わらない」と。
私は私の毎日を高速で繰り返し、私の人生を終わらせるために。
きっと、数年すれば命日にも泣かなくなるのだろうと思う。
それは、寂しいことにも思う。
でも、だからって忘れたわけでも愛がなくなったわけでもない。
生きるとは、そういうことだ。

愛する人の死」コンテンツは、アダルトコンテンツに似ている

こういったリアルがないまま、「愛する人の死」コンテンツは、幸せな人たちの心をいい塩梅で愛撫して気持ちよくさせる。
近しい人との関係が良好であれば、その死に怯えるだろう。
近しい人との関係がぎくしゃくしているのであれば、死を持って感謝や愛を見つけられる希望がないか、と心のどこかで思ってしまうだろう。
それは、ギリギリのところまで愛撫して高めて放置するような感じのマゾ的な気持ちよさと似ている。

そして、大抵は愛や死の美しさがストーリーとして凝縮されている。アダルトコンテンツのストーリーが視聴者の願望を凝縮させているのと同じじゃんね。

タイタニック』が三文映画じゃなく、文学性を帯びた理由

普段のローズはジャックのことは記憶の海の奥底に沈めて、タイタニックを思い出して語ることで、回顧することで、心の奥底にいた彼と再会した。
記憶の中でジャックに再会できたから、ローズの一生は静かに終えたのだと思った。その死は、日常を死闘してきたローズにとっては、救済にほど近いなにかだったのではないかと思う。

あんなにクラスの人気者みたいな、トッピングマシマシのラーメンみたいなコッテリ王道映画なのに、死を持ってローズを最後の最後に救済にほど近い何かを与えたのだ。
そこで一気に、文学作品になるのであります。
ううん、究極のリア充映画、あっぱれ『タイタニック』。

だけど、自らの死が救済にほど近い何かであることは、死別を経験した者へもまた、救済にほど近い何かではある。
観客のごく一部の、私と似た境遇の人間は、ローズの死と共に救済にほど近い感覚を味わったのではないだろうか。

私も、50年だかすれば、神様に呼ばれ、救済される日が来る。

その時に、誰を思い出すだろう。
申し訳ないけど、future husbandではないだろうな…と今の私は思っている。未来のことは、わからない。

それまでは、私の人生は、暇つぶし。
悪事も激務も善行も、やれることはやり尽くして、答え合わせをしよう。

あなたがいないクソみたいな世界で、1年私はサバイブした

先のないバカな恋愛しながら、そろそろ結婚してみるかなとか思いながら、いやいや家を買おうかしらとか、毎日バカみたいなこと考えながら、でもやっぱり、あなたが居てくれたら、一番きっと私の人生は幸福になったんじゃないかなって思うの。

でも、セカンドベストでも、私は「幸せ、あはは」って笑って死ぬ自信だけがある。
それが、あなたを失っても生きる私のプライド。