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右往左往するアラサ―女子の、気ままな備忘録・雑記です。

故人からの手紙が届いた ~誰かからもらった「愛」は「生きるためのお守り」

っていうのは、evernoteを同期しただけなんだけど

長らくevernoteを起動してなくて、起動してみたのですって話。

すると、2014年にお手紙的に書いてくれた、彼のevernoteが私のevernoteに同期された。
当時「あれ、うまく届かないなあ、まあ、そのうち渡すよ」と言ってくれていたものだった。

「なんで今のタイミングなんだろう」なんてロマンチックなことは思わない、ただの偶然。
でも、やっぱりそれはどうしようもなく心を揺さぶるものだった。

故人からの手紙

ユキ、祈ってるよ。

先の見えないもやもやがあなたを取り巻いていて、いつ終わるとも知れないものに対面しつづけることは、ほんと大変なことだよね。

○○のことで助け手が与えられますように。
ひとりで苦しむときは終わらせられますように。

僕はあなたと寄り添って歩んでいきたい。
今までもそうだったし、そしてこれからも。
僕は、進むべき道をあなたに示してあげられない。
でもね、指図したり、僕の手に負えないことだからと突き放さず、僕にできることをしたい。

実は一番僕ができることは、あなたの側に居続けること。

僕はあなたに寄り添うよ。

心がはりつめるときに、ふと
少しでもあなたの心がふっと軽くなるときがあるといいな。
どうぞ自分を責めないで。あなたは悪くない。

どうぞ自分を否まないで。あなたはとっても大切な存在。
あなたの存在は僕には欠かせない。

風が、あまりに強い風が吹きすさぶとき
人は弱く、揺れ動く。
飛ばされてしまいそうになる風も、
いつしかその風も受け流し
前に前に進んでいける日がきっと来る。

僕は信じてるよ。
助けも、力も、きっと与えられると。

どうか忘れないで。
あなたはひとりじゃない。

どうか心に留めていて。
あなたは愛されている。

あなたが涙を流すときに、
いまは僕が隣にいる。

あなたを心に留め、祈ります。
H

2017年、一人ぼっちの私が思うことなど

「そのままそっくりお前に返したいわボケ」 ただそれだけである。
「どうして、こんなに優しい言葉を、祈りを持てる彼が、自分の悲しみ・苦しみ・寂しさ・焦り・不安・孤独、そして怒りに押しつぶされ、命を絶ってしまったのか?」と改めて疑問に思う。
そして同時に、
「だから死んだのだ」とも思う。
他者の悲しみ・苦しみ・寂しさ・焦り・不安・孤独、そして怒りに敏感な人はきっと、知らないうちにいろんな他者のそれを吸い取ったり引き受けたりしながら生きているのだろう。
対面の相手を元気にする代わりに、きっと黒いもやもやを引き受けて、自分の中に押し込めてしまうのだろう。
私も絶対に、私の黒いもやもやを、彼に引き受けてもらっていたのだ、たくさんたくさん。

私だって同じように彼を愛していた。
だけど、私の愛は彼に届かなかった、至らなかった。黒いもやもやをけしてあげることができなかった。
ただそれだけだ。それは本当にこっちだって死んでやりたいくらいの絶望と後悔。

これ以上の愛はきっとないんだろうし、なければいいと思う

およそアラサー(変な日本語)の私、健康に生きればあと50年くらい寿命がある。
家系的に90歳くらいまでみんな生きながらえているから、もうちょい生きてしまうかもしれない……。

残り50-60年の寿命の中で、こんな愛に、これ以上の愛に出会うだろうか。私は。
2017年5月末の私の仮説は、NOで。
そして、それは仮説というだけでなく、願望でもある。
「あの子が一番、私を愛してくれたな~」と思いたい、そんな願い。

誰かからもらった「愛」は「生きるためのお守り」

1年以上が経つ今も、不意に、あの子の不在に涙が出る。
あの子が好きだった音楽、本に触れた時。
一緒に歩いたある日の天気や情景に似ているところに一人で来てしまった時。
夜中にアイスを大量に食べて、「こら~!夜中に冷たいもの食べたら、太るしむくむで~胃腸が休まれへんやないか!」って小言が聞こえる時。
あの子によく似た男性を街のどこかで目にした時。

この涙は、不在を悲しむばかりだったけど、時間が経って少しずつ、感謝が混ざりつつある。
20数年の彼の人生の中で、10年も私を親友として横に携え、一緒に泣き笑い、言葉を交わしあえたこと。
「ユキは大丈夫」とこの手紙のように繰り返し言ってくれたこと、祈ってくれたこと。
もう、その事実は、私の心の中にしかない。
どうやって文章にしたところで、写真や手紙を見返したところで、私の心の中にしかない。
私が誰かと結婚しようと、誰かの親になろうと、変わらない事実。

それは、圧倒的な絶望であり、孤独であり、つまりサンクチュアリでもある。

きっと、誰かが愛をくれても比べてしまうだろう。「足りないな、大したことない」と思ってしまうだろう。だって、これだけの愛をもらっていたのだもの。
でも、「足りないな」なんて思ってるそぶりは死んでも見せないで、「ありがとう」と笑ってみせる。
そして、心の中で、「全然足りないよね、君には遠く及ばないよね」って話しかけて、泣くだろう。
そして、あの子に対する気持ちほどは愛せない自分の愛の弱さに、人知れず恐怖しつつ、同時に「そらそうだ」と思いつつ、それでもその誰かを愛して生きるだろう。

茶番だけど、バカみたいだけど、私はそうやってあがいて生きてやろうと思う。
神様から売られた喧嘩だって、フルスイングで買ってみせる、どうせ負け戦でも。

頭のいいあの子ができなかった、「生き汚さ」を振りまいて。
絶望しながら、寂しいと思いながら、でもおひさまみたいにいつもある愛を仰いで、渇望して。