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右往左往するアラサ―女子の、気ままな備忘録・雑記です。

実家を「畳む」プロジェクト -ライフイベントって、結婚・出産だけだと思っていませんか?

■こんな私も、実家に頻繁に帰省するようになりました。

数年前は、実家に帰りたくないと言っていた私(下記参照)だけれど、最近、頻繁に実家に顔を出すようになったから、驚きだ。
yuki-kuriyama.hatenablog.com

理由としては二つある。
自分のライフイベントが迫っているので、できるだけ実家周りの懸念・心の中のしこりはお掃除しておきたいという自己都合。
そして、単純に私自身が少し大人になったこともあるのだが、バリバリ女系家族である、私の母方の実家が、いよいよ“家の終り“を考えなければいけない段階で、いくつかの事象に直面して、迷ったり悩んだり疲れてみて、
「家を“畳む“ということは、家族の終りというのは、こんなにもやることがあるのか……」としみじみ思い、驚くことに、親への「お前ら、なんでそうなんだよ?」みたいな子供としての根源的な怒りがだいぶ弱まったことからだ。
今はただひたすら、
「親たちも“家の終り”に苦労している。できることは私も助けて、負担を軽くしてあげたい。いくらなんでもこの苦労はあんまりだな……」
という気持ちに180度くらいがらっと変わった。(まあ、いつかまた再燃するかもしれないけれど。)

■母方の状態

状況としては、こんな感じだ。

  • 祖母は、要介護状態である。サ高住に最近入った。
  • 母はまだまだ若いので、フルで働いている。世代としては女性が稀なる国家資格を持ったプロフェッショナルだし、何よりも仕事を愛しているので、介護工数に取られてその積み上げたキャリアを奪ってしまうのは忍びない。
  • 母にとっては、介護で頼れる人は他にいない。基本ワンオペで、手足になるのは、私の父と私だけだが、実働は私しかいない。(父も父で、自分の実家に同様の問題が起こっているため、「自分の家のことを自分でボール持つ」という紳士協定が結ばれている模様。)
  • 祖母は、戦争で家も何も一挙に失った人なので、モノを捨てられず溜めに溜めている。中途半端に裕福だし、家は広いし屋根裏は戦前のモノが溜まっているし、小さな蔵や離れもあるしで、気が遠くなるおうち、言わばラスボス。
  • 二束三文の土地を複数個持っている。残念だが、買い手なんて見つからない類のもの。
  • 限られた資産ではあるが、ワープアの親戚がそのお金欲しさに認知症の祖母の預金通帳を持って行ってしまった。(※こちらはヘビーなので、事実を多少ぼかしています。)

■誰かがその“家の終り”を看取らないといけない時が来る。

こと女系家族においては、必ず誰かがその“家の終り”を、カタを、付けないといけない。
この営みはきっと、昔から行われてきたことなはずだ。男の子が生まれなかったら、お婿さんをもらわなかったら、日本の家族制度上の「家」はやがてなくなるのだもの。
ただ、きっと今までは、「すげー大変だなおい」という苦労や愚痴が世の中にあまり解放されなかったんだろう。事象としては大変さは昔からあったのだろう。「老々介護」とかもその氷山の一角なのでしょうね。

■私の両親の老後も考えてみた。

私の両親は遠い故郷で週末婚スタイルで働いている。
まだ還暦でもないので結構若いものの、もちろん日々彼らも年を取っている。「あ~脳梗塞!」とか叫びながら、ぱっと出てこない単語をウンウン苦しんでいる。もちろん老眼だ。そんな彼らにもやがて訪れる、老後。
こんなに遠方に互いが住んでいて、もし仮に介護とか入院の世話となったら、私はついに過労死だな……と少し恐ろしく思うこともある。
ただ、両親は、いずれどこかのタイミングでまた東京ないし首都圏に移住したいと明確に両親は私に伝えてくれている。
両親ともに人間関係はドライなので、「老後は東京近辺=人間関係ゼロスタート」と思っても、あんまりストレスがないらしい。

そして、両親自身が数十キロ離れたそれぞれの実家タスクに苦労しているので、
「ユキちゃんたち私らの子供に、忙しい中東京から飛行機乗って帰ってきてもらいながら世話をしてもらう方が心苦しいから、考えただけでいやだ。自分たちの親をみとったら、別にこの地に用事は特にない。でも同居するのはお互いにやりづらいから、適度な距離に別の家を見つけて暮らすよ。」
とのことだった。(なんてドライ。いや、でもありがたい。)
というわけで、今すぐじゃないにしろ、私の実家も“ダウンサイジング”を徐々にしておかなければならない。

■“家のダウンサイジング”施策

まだリストアップしきれてないけれど、ざっくり出すなら下記のような営みなのでした。

【母方の祖母関連】

  • 祖母宅の断捨離方針を立てて、母と合意形成をする。 (どの程度業者さんに依頼するのか、いつまでにきれいにしたいか、どの程度きれいにしたいか。)
  • 祖母宅の処分方針を立てる。(家と土地は売るのか持っておくのかなど。)
  • 祖母のBS状況把握/財産整理をする。 (それぞれ現状おいくらほどの資産・負債があり、今後増える余地と減る余地を算出。)
  • 後見人制度を活用したら、to do効率上がらないかを調べる。(例えば、遠方にいても私が後見人の場合は、母の意をくんだ上での法的意思決定のボールを持つことができるのでは?など。)
  • 祖母の特別養護老人ホームグループホームなど、次の段階の施設探し・予約をする。(わが子の保活より先にやることになろうとは…※わが子の誕生は未定です。)
  • 私自身が介護休暇を取れないか、取れないなら働き方を変えられないかを確認する。(実は既にお伺いは立てていて、「介護休暇取得も、現場を離れるのも、難しいね」という回答を会社からもらったのであった。世知辛い。)

【実家関連】

  • 祝20年で、家族全員でそれぞれの持ち物を断捨離する。
  • 賃貸に出すものと売却するものを分けて、売却するものはさっさと売る。

■ライフイベントの発生順番は、案外あべこべだ。

仮に、他人から「おめでとう」と祝福される・されないで、ライフイベントをポジティブ・ネガティブで分けることができるとしましょう。
結婚・妊娠・出産みたいなポジティブライフイベントは自己選択も可能だけれど、介護・(自分か近親者の)病気・死別などのネガティブライフイベントは、選択の余地はなく、ある日突然、「お前、どうにかせい」と天から降ってくる。そのときにどう泣いて騒いであがいても、まあどうしようもない。そして、感情労働そのものだし、終わりは読めなくて、だがしかし共通して、“死”こそ終わりになるはずのものだ。

私はたまたま、ネガティブライフイベントが20代の終わりから30代の前半に我が身に降りかかってきた。
私の人生に至っては、20代で婚姻届・離婚届を出す前に死亡届を出してみたり、30歳になったと思ったら、保活の前に特養探しをしないといけなかったり、ライフイベントの順番があべこべだ。
あんまり楽しいポジティブライフイベントはまだ起こっていないのが、「勘弁してくれよクソが」という感じだが、運命は選べず、文句も言いようがないので、「前世きっと私は村焼き討ちして女子供皆殺しに加担したくらい徳が低いのだろう」と思うことにしている。
そういう業のおかげで、職業上、ついいろんなことをコントロール(操作、というより「計画したうえで実行する」的な意味)しようとしてしまう自分だが、不思議と人生全体という流れにおいては、コントロールする気がない。

いや、たぶんきれいな流れで生きていけるうらやましい人もきっと多いのだとは思いますよ。恋愛して結婚して妊娠して出産して子育てして、ひと段落してから介護して、そしてやがて自分たちも介護されたり亡くなっていく的な軌道。
そんなきれいな軌道で生きて老いて死んでいけるなら、よかったね。
でも、そうじゃないなら、歯を食いしばって、その時々にとれる最適解をえいと選び、実行し、前に進むしかないのだ。

■人生の斜陽を受け止めてあげることは、亡くなっていく人への最後の誠意と愛情

これは、私が親よりも先に、「(限りなく)配偶者・パートナーとの死別」を経験したことから感じるようになった。
近親者の人生の斜陽を、最後を、的確に受け止めてあげることは、亡くなっていく人にあげられる最後の誠意と愛情だ。
私は、急に死別したため、きちんと受け止めてあげることができなかったし、3年半たった今でも、たぶんできていない。心にしこり・引っ掛かりがあり、毎日どこかで変に振り返る。

私は、両親に、自分の実家の“終わり”を見届けられる環境を作ってあげたいのだ。
そのためには、「要らない土地をどうやって売ったらいいんだ」とか「ばーさんの施設が見つからねえ」と言ったタスクに追われて疲弊して心をないがしろにする状況は避けたい。

そして、妙に理知的な両親は、自分たちの老いもまた気にし始めるだろう。だから私は私の実家の“ダウンサイジング”もまた、今からできることはちょこちょこと手を貸したいと考えている。
私の両親それぞれが、それぞれの親に対して、きちんと本人の人生の斜陽の景色を見る余裕を持てるように、かつ“家の終り”をつけられるように。

私もきっといずれ、自分の両親に対して、同じことをするときのために。