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右往左往するアラサ―女子の、気ままな備忘録・雑記です。

実家を「畳む」-祖母宅の生前整理

■祖母の家の整理を始めた、2019年の春

2019年の春、サ高住(当時)に移った祖母の家を、母と父と整理のために踏み入った。
本当に残念なことだけれど、祖母がこの家に戻ってくることはない。
そう母が心を決め、「協力してほしい」と声をかけてきた。
祖母が存命中に生前整理を進めると決心をした母に、全面的に協力をしてあげなければ。

20歳とちょっとの頃に嫁いできて、おおよそ60年もいた、祖母にとって、戦争がなければ縁もゆかりもなかったはずの、とある北国の田舎町の一角。
築およそ120年で、離れまである田舎の立派な民家。祖母の人生よりも前の記憶とモノを詰め込んだ家。ラスボス感が半端ではない。

■溶けていく自分の輪郭との闘いの記録がそこにはあった

祖母は元来、衣食住が恐ろしくきちんとした人だった。食事を外で買ってくることは私の知る限り一度もなかったし、お洗濯も繕い物もリメイクも自分で何でもやっていた。掃除は毎朝早くに起きて家じゅうモップがけなり雑巾がけなりしており、部屋はいつも片付いていたし、収納は整然となされていた。

ただ、この度、母と父と踏み入ると、その祖母の家は、私の知っている祖母の家ではなくなっていた。
少しの本と植物明けがあったはずの縁側には、収納ボックスで、溢れていた。
古い家だったので二階に向かう階段が急で、祖母もきっと不安だったのだろう。二階にあったはずの収納ボックスが「おばあちゃん、どうやって一階に運んだの」ときいてみたいくらい重いものまで一階の縁側に運ばれていた。(もう祖母に聞いても、答えてくれるはずもないが……)
どの収納ボックスや段ボールにも、祖母の文字で、中身が書かれていた。きっと、「どこに置いたのか」と心配になる中で記入していったんだろうと想像するに難くなかった。
私は、祖母がサ高住に入る前の3カ月ほど前に祖母の家で会っていたはずだった。その時にはここまでの変化はなかった……。

アルツハイマー認知症を診断されて、投薬をしながら、通院をしながら、娘たちに心配されながら暮らした最後の数年。自分でもきっと、認知機能の低下に怯えたことだろう。祖母の不安が、カレンダーや衣装ボックスの文字に、配置換えに、現れていた。
おばあちゃんは、毎日自分の輪郭がぼんやりしていくことと何年も前から闘っていたのだ。きっとサ高住に入る直前は、闘いが激化していて、これを見た母が意思決定をしたに違いない。
「一人暮らしはこれ以上はムリ」と。その意思決定をしなければならなかった、施設を見つけなければならなかった母の気持ちなんて考えたことがなかったけれど、あまりにも変わり果てた荒れ果てた祖母の家を見て、母の悲しみの一部が分かった気がした。

■実家に不用品を送り付けることは、今後しないと決めた

「ユカ(私の母の名前)マタニティー」と書いてある化粧箱には、私の母が私を妊娠していたころのマタニティーワンピースが入っていた。
母は、
「あの頃私も20代で、自分の人生に必死で、不用品をお母さんに送りつけてた。お母さん、捨てないで取っておいたんだね。と言うか、捨てられなかったんだね……なんて親不孝をしたんだろう」と少し涙ぐんだ。

私は、こんまりさんの本で、「実家に不用品を送るということは、不用品にあふれる家を増やすだけ」という言葉があり、ガーンを打たれ、「その通り過ぎるわ」と数年前、自分自身の行いとして禁じたけことを思い出した。
子供から送られてきたモノを、処分できない・捨てられないと悩むのは、受け取る自分の母だ。
だけど、捨てるのは、かなりの確率で未来の自分だ。
そんなに悲しいことってあるだろうか。それなら、自分のモノは自分で処分しよう。

■モノをプレゼントするということは、相手に重荷を・ゴミをプレゼントすることなんだろうか

私が18歳上京時から毎年贈ったお誕生日カードとクリスマスカードが、すべて取ってあった。15年近い年月の分だから、それなりのボリュームがあった。
少ない初任給の予算内で買ってあげられたキタムラのハンドバックも、使用の後を若干残して、そこにあった。スーパーマーケットのクーポンやレジのレシート、輪ゴムが入っていた。
私は、おばあちゃんにたくさんのプレゼントをして、結果、たくさんのゴミを残してしまった。
これを見つけて処分したのが、私でよかった。
母が見つけて、母が捨てるはめに遭わせては、母を傷つけると思った。自分の娘が自分の親に贈った善意や良心・愛も結局のところゴミになるという気づきは、絶望以外の他でもないはずだ。

……モノをプレゼントするということは、相手に重荷を・ゴミをプレゼントすることなんだろうか?

少しでも一瞬でも笑顔になってほしいと願ったのは、愛や感謝ではなく、私のエゴだったんだろうか。答えが出ない。

■結論:アウトソースしないと無理

築120年のそれなりに大きな田舎の家。祖母の人生だけではなく、120年分の色々が詰まっていた。屋根裏や別に建ててある物置には、日本昔話に出てくるような、つづらみたいなものまであった……(絶望)。
一度処分に向けて踏み入ってみて、母は、
「これは、私たちの手でどうにかできるものではないね。業者さんにお願いしよう。それでないと、処分しているうちに私の人生が終わってしまうかもしれないし、心の病気になってしまうかもしれない……」
とはっきりと言った。英断だと思った。

家のダウンサイジングや遺品整理といった問題は、高齢化/核家族/地方から都会に若者が出ていく現代社会でたくさんたくさんそこらかしこでおこっているTo Doだ。
きっとあそこの家のお母さんも、ここの家のお父さんもうっすらぼんやり、「やばいかも」と思い、タイミングが来たときに避けて通れなくて、「ひえー」となるtopicなのだ。

どうしてそんなに辛いかと言うと、身内のモノを処分するということは、その人の人生を少なからずとも知っている人間にとっては、たとえノートブック一つでも、その人の人生を振り返ってしまう作業になる。モノをモノとして扱うのではなく、モノを思い出・その人として扱ってしまう。

私自身、数年前にパートナーの遺品整理を自分の手で行ったときに、耐えがたい心の痛みを感じた。セーター一つだって、故人のような気がした。(当時、私は酒を飲みまくって酩酊状態で捨てた。複数回に分けて行い、ミニマリストの故人だったにもかかわらず、2.5年ほどの時間を要した。その処分の仕方が正しかったかどうかはいまだに分からない。)

それであれば……モノをモノとして扱ってくれる外部業者さんに、
「この反物は値打ちがあるから引き取ります」「ここからさきはゴミ!」と決めてもらう方が、今後生きていかねばならない側の人間には、精神衛生上、圧倒的に良いのではないかと思っている。

母と、「業者さんを探さねばね」と話して、祖母の家を後にしたけれど、予想外の事態で祖母の実家整理の手を止めることになる。
その理由は、また別の機会に。