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右往左往するアラサ―女子の、気ままな備忘録・雑記です。

女王ロアーナ、神秘の炎/ウンベルト・エーコ ~気持ちよく脳汁が出る、面白い哲学ミステリー小説

■気持ちよく脳汁が出る、面白い哲学ミステリー小説

2020年の正月は時間があるので、家事などの合間にどんどん本を読んでいます。
仕事をしている普段は、あまり純文学や哲学を読むと、社畜ライフに妙に疑問を持ったり作品に気持ちが引き摺られてしまうことがあるので触れないようにしていて、ミニマリストの本を読んだり、軽めの新書を読んだりしています。
それなので、趣味に任せて乱読できるこの時間は、私にとってはとてもサンクチュアリ

晦日から元日に読破したのは、提題。
いやー、年始から素晴らしい本を読めて私の人生幸先が良い!
リアルで語り合える友達がいないので、読まれた方のブログやブクログ読書メーターを読んではいいねしてインターネットの海を歩いています。

読み始めはまさかこんな展開と思わなんだ!記憶喪失の主人公と一緒に"霧"の中を歩み、たどり着くのはああここなの?!と下巻の、最後の20ページで脳内がスパーク。

ストーリーとしても、記憶喪失の主人公が子供時代の田舎に帰って古物を見ながら自分が持っていたはずの意味記憶を追っていくというミステリー小説的な面もあり、面白い…。

初恋のリラさんは、なかなか本を読み進めても何故ヤンボおじさんにとって記憶喪失になってもなお、霧のかかった記憶の中で輝く存在なのかは明かされないまま読み進め、下巻の後半に「おおお、なるほど」と合点がいき、読者のスッキリポイントもちゃんと用意されている。

第二次大戦のイタリアの田舎の少年としての生々しいストーリー性の目覚め…ヤンボおじさんのそんな記憶を一緒に辿っていくと、子供の言葉で語られる、エーコの持つ神と悪についての鋭い洞察も。

プルーストなど世界中の純文学の引用を要所要所で盛り込んだり、綺麗な色の図録がたくさん載っていたりとまさに脳汁の出る知的体験ができる。
読書好きにはニヤリとする、もしくは私なんかは「あーこの本も読まなきゃ、あの本も読まなきゃ」と次の要読書リストが更新されるわけで。

うーん、読書人生のマイフェイバリット10に入ってしまうかも。読書や文化一般の偏差値を上げてから何度も読み返したい。

■スキゾとパラノ ~スキノ(分裂)気味主人公

僕は記憶を失っただけではなく、偽りの記憶に生きているのかもしれない。グラタローロに指摘されたことだが、ぼくのようなケースでは、とりあえず思い出すと言う感覚をもとうとして、かつて生きたことなどない過去の断片をでっちあげる者もいると言うことだった。
(上巻p82)

付け焼き刃だが、スキゾ(分裂)気味な主人公ヤンボおじさん御歳60歳。
スキゾな主人公ってのは、20世紀の文学の王道のスタイルそのままで、文学好きはどこかで見た主人公の心模様で、安心して読める。
誰しもみんなスキゾ気味かも、あらゆるところであらゆる自分がいるものだから。

ドゥールズの「スキゾとパラノ」から系譜が続き、浅田彰さんの「スキゾとパラノ」を語る、『迷走論 -スキゾ・キッズの冒険』を読み、理解を進めたいところ。
…つまり、ドゥールズを読み返してから着手せねばならんのか!(わくわく)

ここでまず思い起こされるのが、人間にはパラノ型とスキゾ型の二つがある、という最近の説だ。パラノってのは偏執型(パラノイア)のことで、過去のすべてを積分=統合化して背負ってるようなのをいう。たとえば、十億円もってる吝嗇家が、あと十万、あと五万、と血眼になってるみたいな、ね。それに対し、スキゾってのは分裂型(スキゾフレニー)で、そのつど時点ゼロで微分=差異化してるようなのを言う。つねに《今》の状況を鋭敏に探りながら一瞬一瞬にすべてを賭けるギャンブラーなんかが、その典型だ。
『迷走論 -スキゾ・キッズの冒険』(ちくま文庫)p10

■<神>は邪悪ということさ
神と悪について、特に私はどきっとしたので、下記にて引用したい。

下巻p151-152
「<神>は邪悪ということさ。なぜ神父は<神>が善良だと言うのか?<神>が僕らを創ったからだ。ところがこれぞまさに<神>が邪悪である証しだ。<神>は僕らが頭がいたいように邪悪なのではない。<神>は<悪>なんだ。<神>が永遠であることからすれば、おそらく大昔は邪悪じゃなかったのだろう。<神>は、子供が夏に退屈して蝉の羽をむしり取り始めるように邪悪になった。<神>が邪悪だと考えれば、<悪>についての問題がこの上なく明確になる」
「みんな邪悪ということは、イエスも?」
「それはちがう!イエスは僕ら人間が善良だと知っている唯一の証だ。包み隠さず言えば、僕はイエスが<神>の子供だという確証がない。とてもひどい父親からなぜ善良な人物が生まれるのか理論立てできない。イエスが本当に存在したことも僕は確信がない。おそらく僕らが考え出したんだろうが、僕らにそんな素晴らしい考えが浮かんだことこそが奇跡だ。あるいはイエスは存在して、存在した全ての人の中で善良だったから、<神>が善良だと僕らに納得させるために、善良だったイエスが、<神>の子と言ったのかも知れない(中略)」